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2014-07-の記事一覧

新聞いろいろ 産経新聞

産経新聞

【九州から原発が消えてよいのか?】第8部(6)風評に踊らされる議会の不見識
産経新聞 7月26日(土)7時55分配信

 ■広がる「地元」 再稼働のブレーキに 

 鹿児島市の北に隣接し、錦江湾に面した鹿児島県姶良(あいら)市。今月11日、市議会は九州電力川内原発(鹿児島県薩摩川内市)の再稼働に反対し、廃炉を求める県知事あての意見書を賛成21、反対1の圧倒的多数で可決した。

 「東京電力福島第1原発事故の原因が究明されない中での再稼働は、許されるものではありません。住民は(原発事故時の)避難計画に不安を持っています。鹿児島県知事は、県民の安全確保上重要な課題が解決するまでは、拙速な再稼働に反対し、廃炉を求め、国及び原子力規制委員会に対応することを求めます」

 意見書は「グリーンコープかごしま生活協同組合」が提出した陳情が元になった。グリーンコープかごしま生協は、6月13日に県庁前で開かれた再稼働阻止を掲げる「6・13県議会『再稼働させない』行動集会」の実行委員会に名を連ねる。集会には警察白書で「極左暴力集団」と認定された団体も参加した。

 グリーンコープかごしま生協は、姶良のほか、薩摩川内市や南さつま市、出水市などに同様の陳情を提出した。

 採決で唯一反対した市議の和田里志(60)は「もし桜島・姶良カルデラが噴火したら川内原発が危ないというなら原発事故以前に姶良市は壊滅する。あれこれ理屈を並べて反対するのは疑問だ。原発ゼロなら日本や地域がどうなるか、議員はもっと考えないといけない」と語る。

 意見書決議から5日後の7月16日、原子力規制委員会は、川内原発の安全審査で事実上の合格証を出した。九電だけでなく、九州の経済界は早期再稼働への期待を膨らませる。

 だが、姶良市のような周辺議会の動きが、再稼働のブレーキとなりかねない状況となっている。

 なぜか-。

 電気事業法など法令上の根拠はないが、「地元の同意」が再稼働の前提となっているからだ。首相の安倍晋三も「(安全審査の合格と)同時に、地元の住民の皆様の同意が必要だ」(今年3月10日、参院予算委員会)との考えを表明した。

 しかし、どこまでを「地元」とし、どういった手法で「同意」を得るべきなのか。定義はない。

 地元の解釈の一つに浮上しているのが、原発から30キロ圏内だ。これは、原子力規制委員会が策定した「原子力災害対策指針」で、30キロ圏を事故対策が必要な「緊急防護措置区域」(UPZ)と定めたことを根拠とする。

 再稼働反対の意見書を可決した姶良市は、原発から30キロ圏内に市域がわずかに含まれ、そこには9世帯11人が住む。人口の多寡に関係なく、いわゆる「30キロ圏内」の自治体ということになる。

 姶良市を含め、川内原発から30キロ圏内には、鹿児島県の9市町の全域、もしくは一部が含まれる。このうち出水市議会は平成25年11月、「再稼働への対応は慎重に行うべきである」と県知事の伊藤祐一郎に求める意見書を、全会一致で可決した。

 一方、知事の伊藤は「同意が必要なのは鹿児島県と(立地自治体の)薩摩川内市」との立場を取る。

 これに対し、出水市長の渋谷俊彦が「広い範囲内での(自治体の)同意があれば住民の安心も広がっていく」(今年6月、市議会本会議)と述べたように、30キロ圏内の自治体からは、地元に含めるよう求める声が上がる。

 さらに、30キロを超える自治体も、再稼働に異を唱えるようになった。

 30キロ圏のすぐ外側にある熊本県水俣市議会は23年7月、「原子力・エネルギー政策を転換し、自然エネルギー政策促進を求める意見書」を全会一致で可決。同市市長(当時)の宮本勝彬も「万が一の環境汚染の危険性を考えると、やはり原発は廃止したほうがよいのではないか」(23年6月、市議会本会議)と答弁している。

                 × × × 

 周辺自治体が声を上げるのは、川内原発に限った話ではない。

 「原発を再稼働するには30キロ圏内の自治体すべての同意を得るべきです。伊万里市は玄海町に隣接していなくても30キロ圏内です。伊万里市の同意の必要がないというのはナンセンス」

 玄海原発(佐賀県玄海町)から半径30キロに含まれる佐賀県伊万里市長の塚部芳和は、今年7月7日の定例記者会見で、いらだった表情を見せてこう語った。

 同月2日に開かれた佐賀県議会の原子力安全対策等特別委員会に参考人として出席した経済産業省資源エネルギー庁審議官の後藤収の説明が気に入らなかったからだ。

 後藤は玄海原発の再稼働にあたり、地元同意の範囲について、玄海町と隣接する唐津市、佐賀県の3自治体の首長を挙げ、伊万里市に言及しなかった。

 塚部は平成14年4月の市長就任以降、玄海原発に関する九電との安全協定について、原子炉施設変更の事前了承などを盛り込み、立地自治体並みとするよう求めてきた。市議会も昨年9月20日、こうした塚部の方針を支持する決議を賛成多数で可決した。

 一部が30キロ圏内に含まれる長崎県壱岐市長の白川博一も再稼働に反対の立場を取る。

 昨年7月、九電が玄海原発3、4号機の安全審査を規制委に申請したことを受けた際のコメントで、「市民の安全が100%担保されない限り、再稼働は容認できない。事故を防ぐ対策が必要」と訴えた。

                 × × × 

 再稼働に同意が必要な地元について、明確な定義がないまま、30キロ圏という数字が一人歩きしている。

 これに同調するメディアも多い。

 朝日新聞(西部本社版)は7月23日付朝刊で、「知事突進 顧みぬ30キロ圏」と題した記事を掲載した。姶良市議会の意見書可決などを紹介した上で、鹿児島県知事の伊藤について「『福島の教訓』を生かし、広く住民の声を聞こうという姿勢は見えてこない」と批判した。

 福島第1原発事故の深刻な被害を目の当たりにし、周辺自治体が再稼働に慎重となるのを、頭から否定する理由はない。

 だが、立地自治体は長年にわたって原発と向き合い、理解を深めてきた。これに対し、周辺自治体の中には非科学的な風評におびえ、県外から集まった「プロ市民」による反原発運動に踊らされている所はないか。

 地元の範囲を際限なく拡大すれば、再稼働の同意を得ることは不可能に近い。

 原子力をはじめエネルギー政策は国の根幹を左右する安全保障政策の大きな柱の一つである。その国策を地元の意見が大きく左右する構図は、沖縄の基地問題と根っこは同じだ。

 「決断できない日本」の著作がある元米国務省日本部長のケビン・メアは、何よりも同意や合意を優先する日本の「コンセンサス社会」が、この構図の底流にあると見抜いた。

 メアは昨年10月、福岡市内で開かれた九州「正論」懇話会の講演で、米軍基地や成田空港の滑走路建設、原発の問題を挙げ、「コンセンサス社会である日本では、ごく少ない人が反対、妨害すれば、すべての国民にとってよいことも実行できなくなる」と語った。

 国内48基の原発が長期停止する中で、代替火力の燃料費として、平成25年度には3・6兆円の国富が中東をはじめとする海外に流れ出た。

 財務省の貿易統計によると、今年1~6月の輸出額から輸入額を差し引いた貿易収支は7兆5984億円の赤字。比較可能な昭和54年以降で最大だった。

 今後も原発停止が続けば、電気料金の再値上げドミノが発生し、日本経済の活力をそぐ。この波は巡り巡って経済基盤が弱い地方に、より大きなダメージを与えることになる。周辺自治体はそこに気付いているのだろうか。

最終更新:7月26日(土)7時55分産経新聞


新聞あれこれ 河北新報

河北新報

東北電天下り「暇地獄」  経験者が勤務実態証言
河北新報 7月27日(日)6時10分配信

 原子力行政を担当した宮城県庁OBが東北電力に再就職していた問題で、経験者の一人が勤務実態を証言した。業務らしい業務は与えられず、専門性が問われる局面もなかったという。県は「経験が生かせる職場」と説明するが、OBは「暇すぎて地獄だった」と当時を振り返った。

 OBが勤務したのは2000年以降のこと。デスクは仙台市青葉区の東北電本社に置かれ、勤務は午前8時半から午後5時半だった。午前は「ゆっくりと新聞を読む」のが日課で、午後は自分の勉強に時間を費やした。
 決裁権限は一切なく、社内プロジェクトに参加することもなかった。主な仕事は、社幹部が県庁にあいさつに行く際の日程調整ぐらい。専門性は関係なかった。
 宮城県人事課は、東北電について「県庁で積んだ経験を生かせる職場」と説明している。証言は、こうした県の言い分と食い違いを見せる。
 このOBは「飼い殺しされているようだった。眠気と闘う毎日だった」と言う。
 報酬は年600万円。県庁関係者らによると、業務内容を含めた待遇は現在も大きく変わっていないとみられる。
 OBは労働を伴わない対価に苦痛と罪悪感を覚え、何度も退職を考えた。だが、「次に続く後輩に迷惑が掛かる」と踏みとどまったという。
 県庁時代、「天下り」とされる再就職を意識して仕事をしたことはなかったのか。OBは「そのようなことはなかった」と明言。その上で「福島第1原発事故で再就職の慣例が終わると思っていた。今も続いていることに違和感を覚える」と語った。
 宮城県庁OBの東北電への再就職は1989年に始まった。福島第1原発事故前に7人が経験し、事故後の現在も1人が勤めている。

最終更新:7月27日(日)6時10分河北新報


ラビット黒

Author:ラビット黒
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