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米倉斉加年さん

 昔からドラマとか芝居とか、あまり興味が無かった私でも米倉斉加年という俳優がいることは知っていましたが、斉加年はマサカネと読むことを今日初めて知りました。

 たしかNHKの大河ドラマに出ていたのも憶えていますし、モランボンの焼肉のタレのコマーシャルも憶えています。

IWJの記事を読んでいたら、そのモランボンのCMに出演した際のエピソードが書かれていて「あ~、そんな事があったのか。」と驚いたので少し引用してみます。
ちなみに、2年前の8月26日に亡くなられたそうです。





【IWJブログ】俳優、絵師でもあった米倉斉加年さんの命日によせて~一日5時間ひたすら歩く元死刑囚・袴田巌さんをひそかな目標とする岩上さん「歩くことは生きること、自由であり続けるための闘い」 2016.8.30

一部引用
 
 そんな米倉さんが絵師であることを、私が知ったのは米倉さんの晩年、そして、実際にその絵本を手にしたのは、お亡くなりになった後のことでした。

 絵本『おとなになれなかった弟たちに…』(1983)は、半月後に終戦を迎えようとしていた疎開先で亡くなった弟のことを描いています。死因は栄養失調でした。

配給で弟のために配られたミルクを、甘いもの欲しさに米倉さんが盗み飲みしたことが原因だと自らを責め、また、反戦への強いメッセージが込められた作品です。
1987年から中学校1年生の国語の教科書に採用されているそうです。

 そのはっきりとした目鼻立ち、そして特徴的な顎の形から、知性的ではあるけれども、野性的なイメージがあった米倉さんですが、描かれる挿入絵は、とても緻密で繊細な印象を持ちました。

「いま私には たくさんの朝鮮人の友だちがいます」―そして、モランボンのテレビCM出演

 日本人の父と朝鮮人の母とその息子、三者の悲劇を表現した『多毛留(たける)』(1976)のあとがきには、米倉さんの次のようなメッセージが記載されています。
 (私は福岡の生まれです。玄界灘のむこうは朝鮮です。小さいといから朝鮮を知っています。いま私には たくさんの朝鮮人の友だちがいます)

 1979年、米倉さんは「生き続けている朝鮮の味」をうたったモランボンのテレビCMに出演されます。
焼き肉のタレ、白菜キムチ、辛子明太子など、今日の日本の食卓には、あたりまえのように並ぶ食材ですが、差別意識の蔓延していた当時の日本社会では、CMに登場後、役から下ろされたり、メディアへの出演を断れたり、米倉さんは様々な妨害にあったとの話も耳にします。

 当時、米倉さんがどのような思いでこのCMの仕事をされていたのでしょう? 
他界されて2年たった今、あらためて思いを馳せています。



「ただ焼肉のタレの宣伝ではない、社会意識への挑戦であり、文化を伝える作業だと」

理学博士でモランボン株式会社の研究所所長であった鄭大声(ちょんでそん)さんは、米倉さんがCMに出演するに至った経緯について、著書『焼肉・キムチと日本人』の中で少しですが触れています。

彼をTVコマーシャルに起用するために、いまは故人のモランボンの全鎮植社長が一晩かかって彼を説得した。
米倉氏はなかなか「うん」と言わなかった。
苦労の末ようやく米倉氏が出演を引き受けるに至った話をここでは十分に紹介しきれないが、とにかく全社長の熱意と誠意であることだけは、ここに記しておきたい。昭和53年のことである。
 ※『焼肉・キムチと日本人』(鄭大声著)より


 また、のりこえねっと共同代表の辛淑玉(しんすご)さんは、「はらっぱ」2010年6月号に掲載された「サバイバル手帳:踏み絵としての朝鮮人」という寄稿文の中で、CM出演後に米倉さんが受けた仕打ちについて、本人との思い出話も含めて、次のように著しています。

(略)米倉さんが受けた仕打ちは凄まじいものだった。
まず、すべての役から下ろされ、メディアへの出演も断られた。
仕事がまったくなくなったのだ。
朝鮮人の味方をする者への兵糧攻めである。

 もちろん米倉さんの子どもも無事ではいられなかった。
学校で「チョーセンジン」といじめられて帰ってきて、「ねぇ、お父さん、私の家は朝鮮人なの?」と尋ねたそうだ。

 その時、米倉さんは微動だにせず
「そうだ、朝鮮人だ。朝鮮人で何が悪い?」
という趣旨の言葉を子どもたちにかけた。

 米倉さんは、1934年に福岡で生まれた日本人である。

しかし彼は、自分は日本人だとは決して口にしなかった。
それは、このコマーシャルを引き受けるときの彼の覚悟でもあったのだろう。

 当時を振り返って、「あのとき、このコマーシャルはただ焼肉のタレの宣伝ではない、社会意識への挑戦であり、文化を伝える作業だと認識していたのは、全さんと私と、あなた(私のこと)だけだったかもしれませんね。わっはっは」と愉快そうに語ってくれた。

※「はらっぱ」2010年6月号「サバイバル手帳:踏み絵としての朝鮮人」(文辛淑玉)より


 私の中の「米倉さん=赤シャツの人」というイメージが、すっかりと消えてゆきました。




私もスーパーで徳山物産とかのキムチや参鶏湯などを買って食べますが、気軽に買えるのもこういうことの積み重ねのお陰があったんですね。


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ラビット黒

Author:ラビット黒
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